3)師を敬う
     ― 子どもが変われば先生が変わる
 
 
[一億総中流]という言葉をもじって[一億総教育評論家]などと言われますが、戦後、学校教育はいつも人々の批判の矢にさらされてきました。
 教師の質の向上、教え方の良し悪しの問題など、学校側の努力は今後も必要でしょう。
 しかしながら、教えられる側である生徒の質が悪ければ、学校側の努力も報われません。
 そもそも生徒は、授業というお芝居を観に来たお客様ではありません。
 つまらないお芝居をすれば、お客の私語が増え、中座する人や、はたまたブーイングを浴びせる人が居ても仕方ない部分はあるでしょう。
 しかし、初等教育と お芝居は、基本的に方向性が違うものです。
 良心的な先生は 絶えず楽しく分かりやすい授業を工夫していますが、分かりやすい授業ばかりすれば、自分で理解しようとする力が育たないという逆説が成り立ってしまうのが教育ですし、そもそも、面白かろうが、つまらなかろうが、やるべきことはやる、つまり訓練の意味合いが強いのが初等教育でしょう。
 訓練は秩序の中でしか行うことができません。逆に言えば、秩序さえ整っていれば、教師は生徒に対して余裕を持って接することができ、多少教え方がまずくとも、聞く耳を持たせることができます。子供にとっても それが自分のためになるわけです。
 教師が秩序を望むのは言わずもがな。あとは、子どもの側が秩序をどれだけ守ることができるか、どれだけ教師を敬った行動がとれるかです。
 子どもたちの多くは、教師も喜怒哀楽の感情を持つ 1人の人間であり、自分らと同じように傷つきやすい存在であることをあまり理解していないようです。
 「みんなが一生懸命描いた絵を破り捨てられば悲しいように、一生懸命やっている授業を無視した行動をとられれば先生だって傷つくんだよ」と言うと、そうなの?という顔をする子どもたち。
 そんな当たり前のことから話して聞かせる必要があるわけです。
 しかしながら、親が自分で「親孝行しろ」と言いにくいように、教師が自分で「先生を敬え」とは言いにくいものです。
 その役割を担うのは、やはり第3者の役目です。
 本来なら、親が「学校の先生を敬うように」子供に説き、教師は「親孝行をするように」子供に説くべきで、そうすれば両者に暖かい関係が生まれ、モンスターペアレントなどという言葉も生まれなかったことでしょう。
 学校の先生に対しては きちんとした言葉で話す・廊下ですれ違ったら会釈をする・話しに割り込まない・先生に対しては両手でモノを渡すなど、こんな型の練習から入っていきます。